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【美しすぎる女性副操縦士Sisy Arias】家族の悲痛な訴え…アリアス一族の豪華な家系と末娘シシーの決意。ブラジルコロンビアラミア・ボリビア2933便墜落事故が奪った夢の航空路

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ブラジルーボリビアーコロンビア間AvroRJ85チャーター機墜落事故で亡くなった乗務員、シシー・アリアス(Sisy Arias)副操縦士のその生涯に迫ります。

 

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⇒主な事故概要 

2016年11月29日、

主な乗客としてブラジルサッカークラブ・シャペコエンセ(Chapecoense)チーム、監督やトレーナーなどの技術チーム、議長や会長などの重要ポジションを担う人物、記者などの報道関係者を含むジャーナリストが乗員。

 

定員85名のうち

総員77名の乗客を乗せた

アブロRJ85CP2933旅客機は、

ボリビア(Bolivia)のビルビル国際空港(ViruViru International Airport.通称VVI)を出発。

 

コロンビア(Colombia)のメデジン(Medellin)にあるホセ・マリアコルドバ国際空港(Jose Maria Cordova International Airport.通称MDEへと向かっていた当航空機は、燃料切れの危険がある他機を優先し上空旋回にて待機。

 

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しかし、

3旋回ほどしたあたりで

燃料切れからくる

エンジンの推進低下がみられ、

同時に電気系統にも異常をきたし、

異常事態を管制官へ宣言。

 

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時は既に遅く、

ラミアボリビア航空2933便は

メデジン郊外のアンティオキア県(Departamento de Antioquia)ラ・ウニオン(La Unión)へと墜落。

 

77名中、

生存者はたったの6名

チャペコエンス(Chapecoense)の

サッカー選手を含む

71名の犠牲者を出す

大惨事となってしまいました。

 

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⇒RJ85女副操縦士 

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副操縦士シシー・アリアス(Sisy Arias)こと

シシー・ガブリエラ・アリアス・パラヴィシーニ(Sisy Gabriela Arias Paravicini)は、アリアス家の末娘。

享年29歳。2児の親。

 

 

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過去にコロンビアにて

モデル活動もしており、

コロンビア国内では

誰もが知るトップモデルでした。

 

 

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また、

父のホルヘ・アリアス(Jorge Arias)がディレクターをしているライヴTV Gigavisionでも働いていました。

 

 

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しかし空への憧れを捨てきれず、米国マイアミ(United States of America - Miami)へ居を移します。

 

 

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そうして

医学を6ヶ月間学び、

法律条件を通過した後に

パイロットコースを受け、

その努力と生来の知性が

実を結び、合格します。

 

これで

事業用操縦士として

活動はできるのですが、

これでは副操縦士止まりです。

 

そこでシシーは

更なるステップアップを臨み、

大企業に適用できる資格を

目指す事となるわけです。

 

それは、機長として

操縦桿を握るまでに

成長する事でした。

 

それを可能にするには 

実距離にして

10,000km航空する

という条件を

満たす必要があります。

 

 

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シシー・アリアス(Sisy Arias)は

その条件を満たすため

アメリカからボリビアへ帰還。

 

その副操縦士としての

経歴を十分に活かし、

機長への道を着実に

縮めていきました。

 

また、

アメリカのマイアミへ

居住を移した際に

米国にて出産した子供が、

マシュー・アリアス(Matías arias)10歳と、マリアナ・アリアス(Mariana Arias)7歳です。

 

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⇒その家族構成 

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ホルヘ・アリアス(Jorge Arias)

父。

ボリビアのジャーナリスト。

ライブTV Gigavisionディレクター

弁護士でもあります。

 

ボリビアを拠点に活動する

コメンテーターでキャスター。

 

2016年5月未明

腹部に激しい痛みを感じ、

緊急入院したところ

(大腸憩室炎)と診断。

 

幸いな事に命に別状なく

迅速にその症状を処置し

手術する必要なく退院しました。

 

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カーリー・アリアス(Carly Arias Paravicini)

姉。32歳。

国際弁護士。ジャーナリスト。

 

LifeTVのチャンネル27担当。

サンタクルスにおける

テレビメディア業界で

キャスターとしても活躍する

キャリアウーマン。

 

国際弁護士資格が

国内外問わず行動するその

ジャーナリストとしての活動での

確かな強みを裏付けます。

 

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ジュニア・アリアス(Junior Arias Paravicini)

兄。

ボリビアジャーナリスト。

テレビプレゼンター。 

 

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アーウィン・アリアス(Erwin Arias)

叔父。

 

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⇒涙の対面

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2016年11月30日、

アリアス一族はシシー・アリアス(Sisy Arias)の遺体を引き取る為、ボリビアにあるビルビル国際空港(ViruViru International Airport.通称VVI)へと出向き、涙の対面を行いました。

  

その後、

数十分の記者会見を行います。

 

ホルヘ・アリアス(Jorge Arias)と

その家族は待合室に入り、

その後、メデジンにある空港から

パナマへ航空するため

COPA航空会社の旅客機に搭乗、

娘シシー・アリアス(Sisy Arias)の

遺体を速やかに送還する為の

手続きを行いました。

 

 

⇒運命的な何か

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副操縦士から機長になる為の

条件については先述しましたが、

その飛行経歴において、

ラミア・ボリビア航空では

初のフライトでした。

 

また、

事故機のフライトの前に

シシー・アリアス(Sisy Arias)と、機長のミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)は、父のホルヘ・アリアス(Jorge Arias)がディレクターをしているGigavisionからインタビューを受けています。

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その中継画面へと導入している女性キャスターは、姉のカーリー・アリアス(Carly Arias Paravicini)でした。

※シシー登場は1:13頃

 

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↓画質の良い方はこちら ↓

youtu.be

 

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この後、

本機が墜落するという事を

知っている現在から見ると、

陽気な雰囲気が、

逆により悲壮感を漂わせるように

見えるのは気のせいでしょうか……

 

 

⇒叔父とシシー 

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叔父であるアーウィン・アリアス(Erwin Arias)は、シシー・アリアス(Sisy Arias)との想い出を、こう語っています。

 

 

2年前でしたか。

 

シシーが機長になる為にアメリカに行くって話を聞いた時、シシー・アリアス(Sisy Arias)とジュニア・アリアス(Junior Arias Paravicini)とで話をした事があります

 

そこでシシーは何を一番望んでいるのか?と考えたんです。

 

そこで、

私たち家族が出した結論に

こんなものがありました。

 

それは子供の為の、より良い未来のレールを用意し、そのレールを常に整備して使わせてやることだ、と。

 

ところが、

シシーは海外どころか

天に召されてしまいました。

 

ただ、

私たちがやる偉大なレースは

その時と何も変わらない事にも

同時に気づいたのです。

 

それは、

子供が健やかに、

そして聡明に育つ為の

レールを整えていく事だ、と。

 

いつか

母と同じ世界で

活躍していくのかもしれません。

 

それは誰にもわかりません。

 

ただひとつ、

最も幸いである、と

確実に言える事があります。

 

それは、

二人の子供が、

シシーという母親を今も

誇りにしているという事です。

  

 

⇒兄の悲痛な想い 

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シシー・アリアス(Sisy Arias)の兄であるジュニア・アリアス(Junior Arias Paravicini)は、その痛烈な想いを表しています。

 

 

親愛なる妹よ。

 

シシーは私の魂の伴侶です。

 

あなたは

私を残して逝ってしまった。

 

しかし

あなたは私たちの先祖、

あなたの息子、

あなたの兄弟、

そしてあなた自身を

生涯かけて愛し続けた。

 

あなたは私が今まで

出会った人物の中で、

最も高貴で尊い人物だった。

 

我が妹よ。

いつか必ず逢いに行きます。

 

我が命が

神の御手よりこぼれ落ちる

その日が来た時には、必ず。

 

そして私は思う。

 

シシーはどんなに怖く、

そして苦しかったのだろう、と

 

しかし私には、

貴方が感じたその

痛みと恐怖、無念さを

世界中の人々に対して

伝える術を持っていません。

 

どんな表現を用いたところで

そんな事、

どうしてできましょう

 

ただ、

もしそれを実現できた時…

 

私はようやく、

この残りの人生を

確かな歩みで生きていく事が

できるようになるのでは、と。

 

私はずっと、

そんなことを考え続けています。

 

妹が見せてくれたあの笑顔が、

あなたが実はまだ

生きているのでは…などと

私に錯覚させるのです。

 

我が妹よ。

 

私は、あなたのその魂と

人生のすべてを愛します。

 

  

⇒父の言葉 

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私の妻は、

最愛の娘シシーが

生きているはずだ、と

そう信じています。

 

しかし、事故から数日間、

我がGigavisionは

その災害が現実に起きた事を

確かな検証のもとに確認。

 

その災害が

あのアンティオキア県(Departamento de Antioquia)の山肌に墜落して引き起こされたものということも、知っています。

 

それは、真実なのです。

 

しかし、

それが例え真実だろうと、

知っている事だろうと、

 

あの時、私はそれを

信じる事ができませんでした

 

私は墜落事故の翌日、

私の娘と会い、話しました。

 

シシーと話しました。

 

最愛の娘の顔を見ながら、

いろんな事を語り合いました。

 

語り合った気がしました。

 

…あの日まで、

語り合えていたのです。

 

でも、娘は目を閉じたまま

一度も声を返してくれません。

 

その時、

私は本当の意味で確信しました。

 

…私の娘シシーは、

あの墜落事故で

天に召されたのだ、という事を。

 

 

我が娘シシーが果たしてきた

誇りある功績と、その軌跡が

人々の心に残り続ける限り

シシーは神と共に

いつまでも生き続けるでしょう。

 

父である私ホルヘが

我が娘シシーを心の底から

愛し続けてきた……

 

その軌跡と共に。

  

  

⇒シシー生前の言葉 

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シシー・ガブリエラ・アリアス・パラヴィシーニ(Sisy Gabriela Arias Paravicini)は生前、ボリビアTVの取材でこう語っています。

 

 

私の父、

ホルヘ・アリアス(Jorge Arias)は

メディアニュース世界に属し、

今でもジャーナリストとして

世界情勢に目を向け、

視聴者へと情報発信する立場です。

 

私の父は世界中を見ていたのです。

 

そんな

父の生き様を見てきて

私もいつかは

ジャーナリストとなって

世界中を飛び回り、

多くの刺激に富んだ

いろんな国を歩きたい、と

そう思ったものです。

 

この現実社会の中でも

最も携わる事の難しい

TVメディアのお仕事ですが、

私は幸運にも、父に

Gigavisionのディレクターを

もっていたのです。

 

私は父の庇護のもとに

Gigavisionを通し、

モデルなどのいろんな

華やかな仕事に

携わる事ができました。

 

いろんな世界を見てきました。

 

しかし、いつしか私は

その「世界」の上に

「空」がある、という事に

気づき始めていくのです。

 

私は密かに、

パイロットになるための道を

企画していくのでした。

 

私はヴィルヴィル国際空港で

飛行訓練に熱心に従事し、

夢を叶える為に夢中になりました。

 

そうして

本格的に飛行士になる為に

米国へ渡っていきますが、

パイロット養成コースはなんと

25,000$(約250万)かかります。

 

パイロットになろうと

決断する事は簡単でしたが、

決して安いお金ではありません。

 

正直言えば、大金です。

 

当時の私に

そんな大金を払うのは

難しい問題でした。

 

頼れるのは父しかいません。

 

でも、父は厳格な人です。

 

これだけ順風満帆に

メディアの仕事で満たされたのに

機長の道を目指すなんて知ったら

どんなに叱られるでしょう……

 

そう思っていました。 

でも、拍子抜けしました。

 

なぜなら、あっさりと

納得してくれたからです

 

その時の衝撃は今でも

昨日の事のように思い出せます

 

私はそれから、

父の多大な庇護のもとに

副操縦士を目指し、

今、まさにその夢が叶っています。

 

ですが、

私の夢の道はまだ終わりません。

 

なぜなら、

私には「機長になる」という

更なる夢が生まれたのですから。

 

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夢が叶ったその時には、

また取材してくださいね

 ======= END =======  

 

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