【まとめ完全版】ラミア・ボリビア航空アブロRJ85CP2933便コロンビア墜落事故原因と経緯、生存者6名犠牲者71名全乗客77名顔画像と詳細あり【ブラジルシャペコエンセ(Chapecoense)の悲劇】
ラミア・ボリビア航空墜落事故で
12月7日現在、
判明している限りの
生存者と死亡者の全貌を
ここにまとめました。
搭乗しなかった事で、
結果的に生存者となった方
などについても記載しています。
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⇒慎重を尊重
※現在、機長の愚策と
判断ミスが招いた人災という
意見もあるようですが、
墜落事故に至るまでの
詳細につきましては
極めて不明な点も多く、
また、
データレコーダーの解析は
短く見て1ヶ月はかかるもの
という見方を尊重し、
確かな原因が判明するまで
本稿では概要のみに留めます。
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⇒墜落事故概要
雷雨と濃霧の悪天候の中、
ブラジルサッカーチーム
シャペコエンセ(Chapecoense)は
コロンビア(Colombia)で行われる
サッカー世界大会「コパ・スダメリカーナ」(Copa Sudamericana)2016決勝戦で、アトレティコ・ナシオナル(Club Atlético Nacional)との試合に臨む為、
直接ブラジル(Brazil)の
サンパウロ(São Paulo)から
コロンビア共和国(República de Colombia)のメデジン(Medellin)へと旅客機で向かう予定でした。
しかしルール上、
ブラジルからコロンビアへは
直通で航空する事はできません。
その為、
いずれかの国の空港を経由する為
候補を挙げていたところ、
ボリビア多民族国(Estado Plurinacional de Bolivia)の空港に決定しました。
そうして選択された
ボリビアのサンタ・クルス・デ・ラ・シエラ(Santa Cruz de la Sierra)にあるビルビル国際空港(ViruViru International Airport.通称VVI)で
ラミア・ボリビア航空
アブロRJ85CP-2933便に乗り換え、
コロンビアのメデジンにある
ホセ・マリアコルドバ国際空港(Jose Maria Cordova International Airport.通称MDE)を目指します。
高度21000フィート(6400m高)で
順調に飛行していたものの、
メデジン南80kmに達した時、
他に燃料漏れで緊急着陸する
飛行機があった為に、
空中待機を命じられました。
そして
高度6400mで直径3kmの円を描き
旋回してから約13分後、
ミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ機長(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)が燃料切れを察知。
燃料切れしかけている状態を
管制管へ報告し、
着陸を許可されたために
緊急着陸態勢に入りましたが、
燃料切れからエンジンが不調。
エンジンは推進力と同時に
機体にとっての電源である為、
電気系統に異常をきたします。
そして次第に操作不能に陥り、
その旨の異常事態を宣言。
緊急着陸に備え、
燃料タンクを全部切り離し
着陸態勢をとります。
しかし時は既に遅く
ホセ・マリアコルドバ国際空港から
南方およそ17kmほどの地点、
メデジン郊外のアンティオキア県(Departamento de Antioquia)ラ・ウニオン(La Unión)の山中昇り斜面に一度バウンドし、
うっそうと生い茂る山林、
通称「黒の山(cerro negro)」
と呼ばれる山麓部分に衝突。
墜落したRJ85機は
その衝撃で破砕しました。
・© 2016 Reuters. All Rights Reserved.より引用
その位置は、
コロンビアのメデジンにある
着陸予定だった目的地である
ホセ・マリアコルドバ国際空港から
実に3分程度の座標でした。
一切の連絡を絶ち
消息を絶ったとされる時刻は
現地時間21:55(JTC2:55)。
この時刻に
墜落したとみられています。
また、
山岳地帯という地形、
豪雨と濃霧により、
救助隊の捜索は極めて難航。
機体と生存者を発見した後も
その救助作業は困難を極めましたが、
墜落時の衝撃で
爆発を起こしていなかった事が
唯一の救いともいえました。
数名の生存者が存在したのは
ミゲル機長がとっさの機転で
燃料タンクを全部位
切り離しておいたおかげ
だとも言われています。
⇒事故機詳細
アブロRJ85 ラインナンバー348
ラミア・ボリビア航空LMI2933便は
ブリティッシュ・エアロスペースが開発、
製造している4発型ジェット旅客機。
全長28.6m,
高さ8.6m,両翼幅26.1m。
また、同型機として
RJ70,RJ85,RJ100,RJ115があります。
それぞれ定員数が
そのままナンバリングとして
型番記載されている為、
定員85名の旅客機は
RJ85と名づけられました。
また、
RJ85の最大航続時間は
公称2965km(1.84mile)。
その1.84マイルの距離は
ビルビル国際空港と
コロンビアのメデジンにある
ホセマリアコルドバ国際空港間と
同程度の距離でした。
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⇒乗客の訂正
当初発表された81名の乗員から
何らかの理由によって
搭乗しなかった者が4名居たため
その後、乗員は
77名と訂正されました。
結果として
搭乗しなかったこの4名は
何ら身体的被害を被る事なく
今も生存する事となります。
以下がその4名です。
ルチアーノ・ブリゴン(Luciano Buligon)
Chapeco市長
プリニウス・デビッド・デ・ネスJr.(Plínio David De Nes Filho)
Chapecoense会長
起業家
ゲルソン・ルイス・メリージオ(Gelson Luiz Merisio)
サンタカタリーナ州(Santa Catarina)社会民主党員(PSD)元議長
イワン・カルロス・アグノレッティ(Ivan Carlos Agnoletto)
ジャーナリスト
ラジオSuper Condaナレーター
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⇒実は5名だった
シャペコエンセ(Chapecoense)背番号36 GK ホセ・ニヴァウド・マーティンズ・コンスタンチ(José Nivaldo Martins Constante)
42歳
ゴールキーパーのニヴァウド(José Nivaldo Martins Constante)選手は
ラミア・ボリビア2933便に搭乗し、
シャペコエンセ(Chapecoense)の
チームメンバーと共に
コロンビア・メデジン(Medellin)へと
向かう予定でした。
しかしニヴァウドは
300試合目の引退試合となる
アトレチコ・ミネイロ(Atlético Mineiro)戦でのプレーを目前に控えたのもあり、299試合目のパルメイラス(palmeiras)戦をプレーする必要がありました。
また
チャペコエンス(Chapecoense)は
旅行日程を変更するかもしれない、
との可能性を考慮し、
カイオ・ジュニオール(Caio Júnior,Luiz Carlos Saroli)監督から留まるよう言われたといいます。
結果、
シャペコエンセ(Chapecoense)は
当初の予定を変えて
かくして墜落事故という
大惨事を迎える事となってしまいます。
また、
ニヴァウドはこうも語っています。
「人生のすべてには理由がある」
ニヴァウド選手はそう思い、
300試合目をする事なく
即、引退する事を決意しました。
これからは、
サッカー業界を裏方で
支える生き方をしたい、と
そうコメントしています。
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⇒墜落機生存者
シャペコエンセ(Chapecoense)
89番 DF アラン・ルチアーノ・ルシェウ(Alan Luciano Ruschel)
27歳
救助隊よりも
地元の10歳の少年が
いち早く発見。
第一発見者の少年が
救助隊へ位置を伝え、
かくして最初の救助者に。
頭部外傷と脊椎損傷と診断。
しかし現在、
状態は安定しているようです。
シャペコエンセ(Chapecoense)
40番 GK ジャクソン・ラグナー・フォルマン(Jakson Ragnar Follmann)
24歳
右足切断された状態で発見。
救助時には、
その切断された自身の右足を
抱えていたといいます。
また、
多数の骨折がみられましたが
状態は安定しているようです。
4番 DF エリオ・エルミート・サンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)
31歳
肺、膝、手首、頭部などに
目に見える損傷を負い、
特に頭部外傷がひどかったものの
病院搬送され整形外科を施術され、
精密かつ迅速な処置の結果、
現在の容態は安定しています。
ラファエル・ヴァルモルビダ・ヘンゼル(Rafael Valmorbida Henzel)
ラジオウェストキャピタル所属のジャーナリスト。
手足に損傷、複数の肋骨骨折など
大変な傷を負いましたが
重篤なものではなく、
現在の容態は安定。
ジャーナリストである彼は、
この事故についての
様々な貴重な証言をし、また、
真相を伝える事に
尽力していくことでしょう。
航空技師
アーウィン・ツミリ(Erwin Tumiri)
25歳
両腕部や顎の部分に
軽度の損傷程度で済みました。
彼は、
生存者となった現在
生存者としての貴重な
生の証言を残しています。
ラミア・ボリビア航空の乗客達は
墜落の危機を感じ取ると
多くの乗客が自分の席を立ち上がり
また徘徊し叫び始めていました。
私は、
墜落時の安全マニュアルに添い
シートベルトが腰骨あたりに
位置している事を確認、
両足の間にバッグを入れ、
胎児がとるような姿となり
前かがみに体を丸めました。
そうして不時着時の姿勢
(brace position)を取りました。
その結果、私は
あの地獄を生き延びる事に
成功したのです。
客室乗務員シメナ・スアレス・オッターバーグ(Ximena Suárez Otterburg)
28歳
スチュワーデスとして
的確に従事していた彼女は
苦しいことに腕部、脚部、
首を骨折しましたが
現在の容態は安定しています。
その彼女は現在、
こうしたコメントを残しています。
いかに神といえども、
私が受けたこの衝撃と激痛、
心に受けた悲哀などを
皆様に本当の意味で説明する事は
決してできないでしょう。
それは、とても苦しい事です。
ですが、
私の心の中にはキロガ機長や
副操縦士のオヴァール、
副操縦士のシシー、
そしてロンメルも………
共に空で仕事をしてきた
大切な仲間たちは
今でも心に生き続けています。
でも、いつか時が来れば
必ずあなたちの居る
遥か高いところへ
飛んでいく事になるから、
寂しくは……ありません。
また、
ラミア航空パイロットで
墜落した事故機の
アブロRJ85チャーターCP2933機を
操縦した人物のミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ機長(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)の生き様について
「彼は英雄として死にました」
と賛美しています。
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⇒生存者の死亡
当初、生存者として救助され、
また報道もされた人物として
ゴールキーパーのマルコス・ダニーロ・パディーヤ(Marcos Danilo Padilha)
享年31歳
理学療法士のラファエル・コレア・ゴバット(Rafael Correa Gobbato)
享年33歳
両名は、搬送先の病院で
まもなく死亡が確認されました。
⇒生存者と死亡者
今回の墜落事故で
不幸にも命を落とした
すべての犠牲者と、
幸運にも生存した人物を
以下に記載致します。
順序は以下の通り。
・シャペコエンセチーム
・指導者と技術者
・取締役会員
・ジャーナリスト
・ゲスト
・乗務員
※およそ77名分のリストは
非常に長文になります。
その為、
すべてのリストを通った後に
シャペコエンセ(Chapecoense)が
名誉の優勝者となった経緯について
記載してあります事をお伝えします
⇒シャペコエンセ
カイオ・ジュニオール(Caio Júnior)ことルイス・カルロス・サローリ (Luiz Carlos Saroli)
Chapecoense監督
元サッカー選手
2009年J1ヴィッセル神戸監督就任
享年51歳【死亡】
1番 GK マルコス・ダニーロ・パディーヤ(Marcos Danilo Padilha)
通算229試合
0ゴール
享年31歳【死亡】
2番 DF ギジェルモ・ヒメネス・ソウザ(Guilherme Gimenez de Souza)
通算88試合1ゴール
享年21歳【死亡】
3番 DF ラファエウ・リマ(Rafael Lima)
通算210試合
6ゴール
享年30歳【死亡】
4番 DF エリオ・エルミート・サンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)
通算139試合
8ゴール
31歳【生存】
5番 MF ジョジマール・ロサード・ダ・シルバ・タバレス(Josimar Rosado da Silva Tavares)
通算243試合
7ゴール
享年30歳【死亡】
6番 DF デネル・アスンソン・ブラス(Dener Assunção Braz)
通算177試合
5ゴール
享年25歳【死亡】
7番 MF ロウレンシ・ドゥ・ナスシメント・ロドリゲス(Lourency do Nascimento Rodrigues)
通算23試合
3ゴール
享年20歳【死亡】
8番 MF ホセ・ギルデクソン・クレメンテ・デ・パイヴァ(José Gildeixon Clemente de Paiva)
通算283試合
6ゴール
享年29歳【死亡】
9 番 FW ブルーノ・ランゲル・ドミンゲス(Bruno Rangel Domingues)
通算247試合
110ゴール
享年34歳【死亡】
10番 MF ホラン・カウエ・ダルモーロ(Hyoran Kaue Dalmoro)
通算85試合
8ゴール
享年23歳【死亡】
11番 FW アナニア・エロイ・カストロ・モンテイロ(Ananias Elói Castro Monteiro)
通算329試合
51ゴール
享年27歳【死亡】
12番 GK マルセロ・ブック(Marcelo Boeck)
通算97試合
0ゴール
享年32歳【死亡】
13番 DF マルセロ・アウグスト・マティアス・ダ・シルバ(Marcelo Augusto Mathias da Silva)
通算77試合
2ゴール
享年25歳【死亡】
60番 DF マテウス・カラメロ(Mateus Lucena dos Santos)
通算61試合
1ゴール
享年22歳【死亡】
23番 FW ルーカス・ゴメス・ダ・シルバ(Lucas Gomes da Silva)
通算144試合
22ゴール
享年26歳【死亡】
27番 DF ウィリアン・チエゴ・ジ・ジェズス(Willian Thiego de Jesus)
通算225試合
7ゴール
享年30歳【死亡】
2010年京都サンガFC所属
28番 MF モーゼス・リベイロ・サントス(Moisés Ribeiro Santos)
通算123試合
1ゴール
享年25歳【死亡】
30番 MF ネネン(Odair Souza)
通算107試合
6ゴール
享年34歳【死亡】
33番 FW エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベ(Everton Kempes dos Santos Gonçalves)
通算323試合
97ゴール
享年34歳【死亡】
2012年
セレッソ大阪所属
2013年~2014年
ジェフユナイテッド市原千葉所属
J2得点王
35番 MF セルジオ・マノエル・バルボサ・サントス(Sergio Manoel Barbosa Santos)
通算112試合
5ゴール
享年27歳【死亡】
背番号36 GK ホセ・ニヴァウド・マーティンズ・コンスタンチ(José Nivaldo Martins Constante)
通算133試合
0ゴール
42歳【搭乗せず事故回避】
40番 GK ジャクソン・ラグナー・フォルマン(Jakson Ragnar Follmann)
通算35試合
0ゴール
24歳【生存】
41 番 DF クラウジオ・ヴィンキ・ネト(Cláudio Winck Neto)
通算49試合
8ゴール
享年22歳【死亡】
44番 DF デメルソン・ブルーノ・コスタ(Demerson Bruno Costa)
通算131試合
2ゴール
享年30歳【死亡】
45番 DF フィリペ・ホセ・マチャド(Filipe José Machado)
通算153試合
3ゴール
享年32歳【死亡】
50番 MF アルトゥール・ブラジリアーノ・マイア(Arthur Brasiliano Maia)
通算143試合
14ゴール
享年24歳【死亡】
2015年
川崎フロンターレ所属
70番 FW アイウトン・セザール・ジュニオール・アルベス・ダ・シルバ(Ailton Cesar Junior Alves da Silva)
通算39試合
4ゴール
享年22歳【死亡】
77番 MF マテウス・ビテンクール・ダ・シルバ(Matheus Bitencourt da Silva)
通算63試合
0ゴール
享年21歳【死亡】
85番 MF ハファエル・バストス(Rafael Bastos)
通算194試合
20ゴール
享年31歳【死亡】
87番 FW アレハンドロ・ヘルナン・マルティヌシオ(Alejandro Hernán Martinuccio)
通算104試合
16ゴール
享年28歳【死亡】
88番 MF クレーベル・サンタナ・ロウレイロ(Cléber Santana Loureiro)
通算540試合
57ゴール
享年35歳【死亡】
89番 DF アラン・ルチアーノ・ルシェウ(Alan Luciano Ruschel)
通算92試合
5ゴール
27歳【生存】
94番 FW チアギーニョ
ティアゴ・ダ・ロシャ・ヴィエイラ・アウベス(Tiago Da Rocha Vieira)
通算64試合
12ゴール
享年22歳【死亡】
以上、
シャペコエンセ選手リスト。
⇒指導者と技術者
エドワルド・デ・カストロ・フィリオ・ドゥーカ(Eduardo de Castro Filho, o Duca)
助監督(auxiliar técnico)
享年39歳【死亡】
ルイス・グロース・パイプ(Luiz Grohs, o Pipe)
パフォーマンスアナリスト(analista de desempenho)
享年25歳【死亡】
アンダーソン・パッション(Anderson Paixão)
トレーニング指導(preparador físico)
享年37歳 【死亡】
アンダーソン・マルティンス・ビン(Anderson Martins, o Boião)
ゴールキーパー指導(preparador de goleiros)
享年45歳【死亡】
マルシオ・コーリー医師(Dr. Marcio Koury)
チームドクター(médico)
享年45歳【死亡】
ラファエル・コレア・ゴバット(Rafael Correa Gobbato)
理学療法士(fisioterapeuta)
享年33歳【死亡】
アンダーソン・ドニゼッティ・ルーカス(Anderson Donizete Lucas)
ユニフォーム整備
コカーダワードローブyoutubechannel運営者(Cocada Roupeiro YoutubeChannel)
享年37歳【死亡】
セルジオ・ルイス・フェレイラ・デ・ジーザス(Sergio Luis Ferreira de Jesus)
またの名をセルジーニョ・デ・ジーザス(Serginho de Jesus)
メディカルトレーナー(trainer for the team)
享年42歳【死亡】
アドリアーノ・ウォルフ・ビッテンコート(Adriano Wulff Bitencourt)
技術委員会メンバー(técnica)
享年45歳 【死亡】
クレバーソン・フェルナンド・ダ・シルバ(Cleberson Fernando da Silva)
広報担当者(assessor de imprensa)
享年39歳【死亡】
マウロ・シュトンプ・マウリーニョ(Mauro Stumpf, o Maurinho)
サッカー協会副会長(vice-presidente de futebol)
享年55歳 【死亡】
エドワード・プロイス(Eduardo Preuss, o Cadu Gaúcho)
ディレクター(diretor)
享年36歳【死亡】
チーニョ・ディ・ドメニコ(Chinho di Domenico)
スーパーバイザー(supervisor)
享年45歳【死亡】
サンドロ・パラオーロ(Sandro Pallaoro)
Chapecoense会長(Presidente da Chapecoense)
享年50歳【死亡】
ルイス・セザール・マーチンズ・クーニャ(Luiz Cezar Martins Cunha)
セジーニャ(Cezinha)で知られる
理学療法士(fisioterapeuta)
享年47歳【死亡】
ギルバート・ペイス・トーマス(Gilberto Pace Thomas, o Giba)
広報担当者(assessor de imprensa)
享年29歳【死亡】
⇒取締役会員
ニルソン・フォレJr.(Nilson Folle Júnior)
シャペコエンセ(Chapecoense)理事会員
享年29歳【死亡】
デシオ・セバスチャン・バルテットJr.(Décio Sebastião Burtet Filho)
ディレクター(diretor)
享年41歳【死亡】
エディ・デ・マルコ(Edir de Marco)
ディレクター(diretor)
取締役会会長(president of the team's)
享年67歳【死亡】
リカルド・フィリップ・ポルト(Ricardo Philippi Porto)
ディレクター(diretor)
【死亡】
マウロ・ダル・ベロー(Mauro dal Bello)
ディレクター(diretor)
享年55歳【死亡】
ジャンドール・ボルディグノン(Jandir Bordignon)
ディレクター(diretor)
享年54歳【死亡】
デビッド・バレーラ・デビッド(Dávi Barela Dávi)
ビジネスマン(empresário)
享年68歳【死亡】
⇒ゲスト
デルフィム・パドヴァ・ペイショットJr.(Delfim Padua Peixoto Filho)
サンタカタリーナCBF会長(vice-presidente da CBF e presidente da Federação Catarinense)
享年72歳【死亡】
⇒ジャーナリスト
ヴィクトリノ・チェルモント(Victorino Chermont)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
享年43歳【死亡】
ロドリゴ・サンタナ・ゴンサルヴェス(Rodrigo Santana Gonçalves)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
享年35歳 【死亡】
デヴァ・パスコヴィッチ(Deva Pascovich)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
享年51歳【死亡】
リラシオ・ペレイラJr.(Lilacio Pereira Júnior)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
享年48歳【死亡】
パウロ・ジュリオ・クレメント(Paulo Julio Clement)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
享年51歳【死亡】
マリオ・セルジオポンテス・デ・パイヴァ(Mário Sérgio Pontes de Paiva)
フォックス放送・フォックススポーツ(Fox Sports)
サッカー解説者、元サッカー選手
享年66歳【死亡】
ギファー・マルケス(Guilher Marques)
ヘジ・グローボ放送局(Rede Globo)
享年28歳【死亡】
アリ・デ・アラウージョJr.(Ari de Araújo Júnior)
ヘジ・グローボ放送局(Rede Globo)
享年46歳 【死亡】
ウィリアム・ヴァン・ダ・ラース(Guilherme van der Laars)
ヘジ・グローボ放送局(Rede Globo)
享年43歳【死亡】
ジョヴェーネ・クライン(Giovane Klein)
RBSテレビchapecoレポーター(repórter da RBS TV de Chapecó)
享年28歳【死亡】
ブルーノ・マウリ・デ・シルバ(Bruno Mauri da Silva)
RBSテレビ・フロリアノポリス技術チーム(técnico da RBS TV de Florianópolis)
享年25歳【死亡】
デジャウマ・アラージョ・ネト(Djalma Araújo Neto)
RBSテレビ・フロリアノポリスカメラマン(cinegrafista da RBS TV de Florianópolis)
享年35歳 【死亡】
アンドレ・ポディアック(André Podiacki)
サンタカタリーナデイリー記者レポーター(repórter do Diário Catarinense)
享年26歳【死亡】
ライオーン・エスピンドラ(Laion Espíndola)
グローブ・エスポルテリポーター(repórter do Globo Esporte)
享年29歳【死亡】
ルナン・アグノリン(Renan Agnolin)
ラジオウェストキャピタルレポーター(rádio Oeste Capital)
享年27歳【死亡】
フェルナンド・スカードン(Fernando Schardong)
Chapecoラジオナレーター(rádio Chapecó)
【死亡】
エドソン・ルイス・エベライニ(Edson Luiz Ebeliny)
スーパーCONDAラジオchapecoenseレポーター(rádio Super Condá)
【死亡】
ゲルソン・ガリオット(Gelson Galiotto)
スーパーCONDAラジオナレーター(rádio Super Condá)
享年36歳【死亡】
ダグラス・ドルネラス(Douglas Dorneles)
Chapecoラジオ・スポーツ記者(rádio Chapecó)
【死亡】
ヨッタ・ビアヴァッティ(Jotha Biavatti)
ヴァンFMとRICTVコメンテーター(comentarista RIC TV e Vang FM)
【死亡】
⇒乗組員
ミゲル・アレハンドロ・キロガ・ムラカミ(Miguel Alejandro Quiroga Murakami)
機長・パイロット(piloto)
享年36歳【死亡】
オヴァール・ゴエティア(Ovar Goytia)
副操縦士(Copiloto)
【死亡】
シシー・アリアス(Sisy Arias)
副操縦士(Copiloto)
享年29歳【死亡】
ロンメル・デイヴィッド・ヴェイスフロース(Romel David Vaceflores)
フライトアテンダント(assistente de voo)
客室乗務員
享年37歳【死亡】
シメナ・スアレス・オッターバーグ(Ximena Suárez Otterburg)
スチュワーデス(aeromoça - sobrevivente)
客室乗務員
28歳【生存】
アレックス・キスペ(Alex Quispe)
通信指令係(despachador)
客室乗務員
享年39歳【死亡】
ギュスターヴ・エンシナ(Gustavo Encina)
パラグアイ国籍パイロット(piloto de nacionalidad paraguaya)
【死亡】
アーウィン・チュミリ(Erwin Tumiri)
航空技師(técnico da aeronave)
25歳【生存】
エンジェル・ルーゴ(Ángel Lugo)
ベネズエラ航空技師(técnico venezolano).
享年28歳 【死亡】
以上、
生存者・死亡者リストでした。
⇒名誉の優勝チームへ
決勝戦で雌雄を決するはずだった
シャペコエンセ(Chapecoense)の
対戦相手チームである
アトレティコ・ナシオナル(Club Atlético Nacional)は
決勝戦を自主的に辞退、
優勝者はシャペコエンセにするよう
申請を行っていたようです。
その申請が現実となった形となります。
これについて
シャペコエンセ(Chapecoense)の
イバントッゾ(Ivan Tozzo)暫定会長は
こうコメントしています。
その声明文をご紹介して
本稿を終えたいと思います。
CONMEBOLから、
シャペコエンセ(Chapecoense)が
優勝者にするという話を聞き、
最初は把握できませんでしたが
決勝戦対戦チームとなっていた
アトレティコ・ナシオナルからの
慈愛に富んだはからいと聞き、私は
シャペコエンセ(Chapecoense)を代表し
深い感謝の気持ちを伝えたい。
また、今回の悲劇にあたり
CBFやFIFAの心強い支援や
ブラジル国内のみならず
世界中のサッカーファンによる
素晴らしい支援にも
心から感謝の気持ちを伝えたい。
======= END =======
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⇒最終生存者11名一覧
ルチアーノ・ブリゴン(Luciano Buligon)
Chapeco市長
プリニウス・デビッド・デ・ネスJr.(Plínio David De Nes Filho)
Chapecoense会長
起業家
ゲルソン・メリージオ(Gelson Luiz Merisio)
サンタカタリーナ州(Santa Catarina)社会民主党員(PSD)元議長
イワン・カルロス(Ivan Carlos Agnoletto)
ジャーナリスト
ラジオSuper Condaナレーター
シャペコエンセ(Chapecoense)
背番号36 GK ホセ・ニヴァウド・マーティンズ・コンスタンチ(José Nivaldo Martins Constante)
89番 DF アラン・ルチアーノ・ルシェウ(Alan Luciano Ruschel)
40番 GK ジャクソン・ラグナー・フォルマン(Jakson Ragnar Follmann)
4番 DF エリオ・エルミート・サンピエル・ネト(Helio Hermito Zampier Neto)
ラファエル・ヴァルモルビダ・ヘンゼル(Rafael Valmorbida Henzel)
ラジオウェストキャピタル所属のジャーナリスト。
アーウィン・ツミリ(Erwin Tumiri)
航空技師
シメナ・スアレス・オッターバーグ(Ximena Suárez Otterburg)
スチュワーデス
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